人はなぜわが子を虐待し、殺してしまうのか(14)

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 前回のブログでは、わが子を殺害してしまった親たちの、悲惨な成育歴について検討しました。

 今回のブログでも、引き続き石田光太氏の『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』1)に従って、わが子を殺害してしまった親たちの成育歴を検討したいと思います。

 

悲惨な成育歴を持つ親たちー「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」その①

 3歳児をウサギ用ケージに監禁し、死亡させた父親である皆川忍は、児童養護施設ではモンスターの子と呼ばれていました。モンスターとは、想像を超えるほどの異常な行動をとる親という意味でした。モンスター・ペアレントという言葉が現れる以前にそう呼ばれていたわけですから、施設の職員にとって、忍の母親にはよほど目に余る言動がみられたのでしょう。

 忍の母親は、彫金師の娘として東京の下町で生まれました。幼い頃からいろいろな問題を起こし、学校でも要注意人物とされていました。中学卒業後にはすでに、都内のスナックで水商売の世界に入っています。

 彼女は夜の町で奔放な生活を送り、18歳のときに知り合ったトラック運転手の男性と最初の結婚をします。このときに生まれた子どもが忍でした。彼女は出産後もキャバレーでホステスとして働き続けたため、忍はすぐに乳児院にあずけられました。彼女は後に4人の女児を出産していますが、すべて出産直後に乳児院にあずけ、一切の養育を放棄しています。

 忍は成長すると、乳児院から児童養護施設に移されました。忍の母親は親子面談に呼ばれても来ることはないのに、運動会にだけはやってきて、金髪にミニスカート、網タイツという出で立ちで騒ぎまくりました。子どもが一時帰宅しても相手をしようともせず、子どもたちが学園からもらった小遣いを巻き上げ、自分の遊びに使いました。忍の妹たちもすべて同じ施設にあずけられましたが、母親は子どもたちを“金のなる木”としか見ていなかったといいます。

 母親は5人の子どものうちで、忍だけを唯一かわいがりました。しかし、その仕方は子どもに対してのものではなく、夜の町を連れ歩いて明け方まで飲み歩いたり、恋人に引きあわせたりしました。そして数日一緒に過ごすと、まるでおもちゃに飽きたかのように態度を豹変させ、忍を施設に追い返しました。

 忍には小学生の頃から、消しゴムや紙くずや髪の毛、それにゴミ箱にあるものなど、目につく物を何でも口に入れてしまう異食症という症状が現れました。この異常行動は、母親の愛情が乳幼児期から極端に不足していたことの現れだと考えられます。

 中学を卒業すると、忍は母親に引き取られました。しかし、実家での生活は惨憺たるものでした。母親はソープランドで働き、男との関係も忍にひけらかしまた。帰ってくるのは毎日深夜で、弁当どころか食事もろくに作ってもらえませんでした。忍は高校を1年で退学すると重機の金属部品を作る仕事や、新聞配達、バイク便の仕事などを転々としますが、どれも長続きしませんでした。そして、ホストクラブに務めることとなり、そこで後に妻となる朋美と出会ったのです。

 忍の行動は、母親とうり二つでした。理性的な行動がとれずに、その時々の感情の赴くままに行動して、すべてやりっぱなしにしてしまうこと。自分の行動がどういう結果を生んで、どれだけ重大なことかを理解して反省する思考がないこと。行動が行き当たりばったりでそこに深い意味がないことなどです。

 その結果が、「生活保護費が増えるから、次々と子どもを作る」「次男が家の中を散らかして暴れるので、ウサギ用ケージに入れる」「次女が言うことを聞かないから、犬用の首輪でつないで殴る」「次男が何度注意しても叫ぶのをやめないから、口にタオルをくわえさせる」「次男が死んでしまったから、バレないように棄てる」という異常な行為に繋がったのだと考えられます。

 

悲惨な成育歴を持つ親たちー「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」その②

 皆川忍の妻、朋美の家庭環境も、普通の家庭とは程遠いものでした。

 朋美の母親は、幼いころから素行が悪く、行く先々で問題を起こすような子どもでした。そのせいもあって高校は3年生で中退し、それからは銀座などでホステスとして働くようになりました。時はバブル絶頂期で、彼女は夜の遊びをすぐに覚え、有り余る金でホストクラブに通い詰めるようになります。そこでホストとして働いていた男性との間にできた子供が、朋美でした。母親はもう一人子どもをもうけてこの男性と結婚しましたが、一緒に暮らすこともないまま1年余りで離婚しました。

 母親は離婚後すぐに別の男性と結婚し、3人の子どもをもうけました。彼女は粗暴な性格からどこでも誰かと衝突してしまい、同じところにいられなくなって5回も住む場所を替えました。

 朋美はこうした環境で育ちながら、中学で深刻ないじめを受けて不登校になりました。このころ母親から実の父親にいきなり会わせられ、「彼が本当のお父さんだから」と突然告げられました。朋美は母の再婚相手を父親と思って育ったため、この出来事はかなりショックだったと語っています。この件の影響もあってか、朋美は中学卒業まで一度も出席することなく、自分で見つけたフリースクールに通いました。

 朋美が都立の単位制高校に進学したころ、母親が莫大な借金を作っていたことが露呈し、夫から離婚されました。多感な時期に相次いだこれらの出来事は、朋美のこころに暗い影を落としました。朋美は高校2年生ときに、付き合っていた先輩に妊娠したと嘘をついて中絶費用をだまし取る事件を起こします。これがもとで、朋美は退学処分になりました。

 退学後の朋美は、母親と同じホステスの道を歩みます。そこで22歳年上の妻子持ちの男性と子どもをもうけますが、まとまった養育費をもらって縁を切りました。その後に朋美も、母親と同じようにホストクラブに通い詰めるようになり、そこで忍と知り合ったのです。

 母親と同じようにホストの忍と結婚した朋美は、7年間で7人もの子どもを産みました。二人は仕事をやめ、生活保護を受けて児童手当や子育て世帯臨時特別給付金によって生活するようになりました。こうした生活の方針は朋美が決め、忍は指示を受けて言うとおりに動いていたといいます。

 朋美は長男と長女を溺愛していましたが、言葉がうまく話せずに育てにくかった次男と、次男と一緒に家を散らかしたり、食べ物を勝手に食べてしまう次女には冷淡に接しました。二人に対する虐待も、朋美が激怒して忍に折檻を命じることが繰り返されていたようです。そして忍も、それがどういう結果を生むのかという思慮のないままに虐待を繰り返しました。その結果、次男は死亡し、次女は自力では立ち上がれないほどやせ衰えた状態で発見されました。

 

行動は遺伝する

 以上で検討してきたように、子どもを虐待し、殺してしまった親たちは、自身も悲惨な育ち方をしてきました。そのため彼らは、適切な子育ての仕方を教わることなく親になりました。そればかりか、子育てに不適切な行動ばかりを受け継いでいるかのようにみえます。

 なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。

 人の親は、子どもに言葉で教育をします。その言葉は子どもの知識として残されます。言葉の他に親子間で伝わるものは、行動です。親の行動を見て育った子どもは、親の行動を真似するようになります。いわゆる、親の背中をみて育つというものです。

 親の言葉や行動のうち、子どもに伝わりやすいのはどの情報でしょうか。言葉と行動を比べれば、行動の方が伝わりやすいといえます。それは言葉による伝達には、次のような特徴があるからです。

 言葉や言葉で構成される理論による伝達は、論理的、意識的であるために、傾聴され、理解されやすい特徴があります。その反面、理解された言葉や理論は、自らの意志によって変更したり拒絶したりすることが可能になります。

 一方で、行動は通常、そのままの形で人から人へと直接伝えられます。しかし、意識的に行っている行動は、言葉や理論を伴っているため、理解されやすい反面、変更したり拒絶することが可能です。ところが、意識せずに行われている行動、つまり無意識の行動は、論理的思考という拘束からはまったく解放されており、変更されたり拒絶されたりすることがありません。そのため無意識の行動は、そのままの状態で次世代へと伝承されることになります。さらに言えば、無意識の行動は相手の無意識の領域に伝わるため、伝えられた者も無意識のうちに、つまり自分では気が付かないまま行動してしまうという特徴があります。

 以上の関係を図で示すと、以下のようになります。

 

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 上の図のように、親から子にもっとも伝わりやすいのは、親の無意識の行動です。では、親の無意識の行動とはどのようなものでしょうか。次回のブログで検討してみたいと思います。(続く)

 

 

文献

1) 1)石井光太:「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち.新潮社,東京,2016.