幼児期の心の成長に必要なもの(1)

 これまでのブログで、自己肯定感がどのように育まれるのかについて述べてきました。

 今回からのブログでは、少し見方を変えて、人の心はどのように成長するのか、そして心が成長するには何が必要なのかについて検討してみたいと思います。

 

人間の赤ちゃんの特徴とは

 人間の赤ちゃんには、他の哺乳類と異なる際立った特徴があります。それは、脳が非常に発達しているということです。脳の発達は胎児の時期から始まっており、出生時には脳の容積は400ccに達します。人間に最も近いチンパンジーの出生時の脳の容積が150ccであることと比べると、人間の赤ちゃんの脳がいかに大きいかが分かります。

 人間とチンパンジーは共通の祖先を持ち、それぞれの祖先は約700万年前に分岐したと考えられています。両者を胎児期で比べてみると、チンパンジーの場合は、妊娠中期には脳の発達は加速を止めます。これに対して人間は、出生直前まで加速度的に脳を増大させていることが分かっています。これがホモサピエンスチンパンジーの違いを、最も際立たせている特徴であると言えるでしょう。

 

二足歩行が早産を招いた

 もう一つの特徴として挙げられのが、人間が定常的に二足歩行をするようになったことです。そのため人間は手を独立して使えるようになり、これが道具の使用を可能にしました。道具の使用が、人間の脳の発達を促すという、相互作用をもたらしたと考えられます。

 このように二足歩行は、人間の脳の発達や道具の使用に有用に働き、それが人類の繁栄に大きな役割を果たしました。その一方で、二足歩行は人間の骨盤を頑丈なものに発達させました。上半身、特に重くなった頭部を支えるために、骨盤は強固になり、可動域が少なくなりました。

 胎児の脳の加速度的な発達と、母親の骨盤の可動域が少なくなったこと。この二つの出来事がもたらしたものは難産です。骨盤が強固になって産道が狭まり、胎児が大きな頭部を持っていれば、出産は必然的に難産になるでしょう。そのため人間の出産は、時に母親の生命を脅かすことさえある危険な行為になりました。

 この危険をできるだけ回避するために、人はできうる限り早い時期で出産すること、つまり早産であることを選択したのです。

 

何もできない状態で生まれる

 早産であるために、人間の赤ちゃんは何もできない状態で生まれてきます。生まれたときに赤ちゃんができることは、おっぱいを吸うことと泣いて親の注意を引くことくらいです。つまり人間の赤ちゃんは、出産時はほとんど無能の状態だという特徴があります。

 これは、草食動物の赤ちゃんと比べるとよく分かります。草食動物の赤ちゃん、例えばアフリカのサバンナで生まれるインパラやシマウマの赤ちゃんは、生まれて間もなく歩き出します。そうしないと、ライオンなどの肉食獣に食べられてしまうからです。人間の赤ちゃんが歩き始めるのが、生まれてからおよそ1年後であることに比べると、草食動物がいかに成熟した状態で誕生してくるかが分かるでしょう。

 いや、早産は人間だけの特徴ではないという意見もあるでしょう。バンダの赤ちゃんの出生時の体重は100~150gしかありませんし、カンガルーに至っては、出生時の赤ちゃんは2㎝くらいの大きさしかなく、体重はなんと0.8gしかありません。

 これら超早産の動物と人間の違いは、人間の赤ちゃんは早産で生まれて何もできない状態であるにも拘わらず、脳だけは異常に発達していることです。身体的発達と脳の発達の極端なアンバランスさ。これが他の動物にはみられない、人間の赤ちゃんの際立った特徴です。

 

親の庇護を受けなければ生き延びられない

 では、身体の未発達と脳の急速な発達というアンバランスさは、人間の赤ちゃんに何をもたらすのでしょうか。

 何もできない状態で生まれた赤ちゃんは、当然ながら親の手厚い庇護を受けなければ生き延びることができません。そのため母親は、赤ちゃんの世話に没頭せざるを得ません。母嫌は寝る間も惜しんで、赤ちゃんにお乳を与え、おむつを替え、お風呂に入れ、寝かしつけなければなりません。もちろん、それは母親だけでなく、父親や他の家族、場合によっては近隣の者やベビーシッターといった他者の手を借りなければできないことでしょう。こうした多くの大人の献身的な努力によって、未熟な状態で生まれた赤ちゃんは生き延び、そして成長することができるのです。

 この状況を、赤ちゃんの側からみるとどのように感じるでしょうか。

 生まれたときの人間の赤ちゃんは、脳は発達を続けていますが、感覚器はまだ充分に発達していません。聴覚、嗅覚、味覚、触覚は胎児の頃から発達していますが、視覚の発達はかなり遅れています。

 生まれたばかりの赤ちゃんは、30㎝先がぼんやりと見えている程度です。3ケ月ごろからは、立体感や遠近感も備わってきます。6ケ月ごろからは大きさもわかるようになり、9ケ月から2歳頃の間にはいはいをしたり、つかまり立ちをしたりして、行動範囲も広がります。そして3歳ごろになってようやく、約7割の子どもが大人と同じような世界が見えるようになると考えられています。

 このように生まれたばかりの状態では、赤ちゃんにとって自他の区別は明確ではなく、自分とお母さんはまだ渾然一体とした状態であると認識されているのです。

 

自覚的には万能の状態

 赤ちゃんは何もできない状態で生まれ、親からの手厚い庇護がなければ生き延びることができません。つまり人間の赤ちゃんは、他覚的にはほぼ無能の状態で生まれています。

 自覚的にはどうでしょうか。人間の赤ちゃんは、他の動物と異なり脳は発達した状態で生まれてきます。しかし、乳幼児期には、視覚は充分に発達していません。そのため自他の区別が明確でなく、自分とお母さんとはまだ渾然一体となった状態として捉えられています。

 こうした状態において、赤ちゃんは自分の欲求を泣いてお母さんに伝え、母親はそれにできうる限り応えます。すると赤ちゃんには、自分の望むことはなんでも叶うように感じられます。つまり、自他が明確に区別されていない赤ちゃんは、望むことがすべて実現するように錯覚してしまうのです。その結果人間の赤ちゃんは、自覚的には自分は万能であると認識するに至ります。

 このように人間の赤ちゃんは、他覚的には無能であるにも拘わらず、自覚的には万能だと感じているという、非常に矛盾した状態にあると考えられるのです。

 

 矛盾を抱えてスタートした人間の赤ちゃんは、この後どのような成長を辿って行くのでしょうか。(続く)